✅ 本サイトは、牡蠣を起点として、環境・文化・人間の関係を記録しています。
✅ 筆者は、接客業、ゲーム制作、食文化、環境デザインの現場を通じて、人と環境の相互作用を観察してきました。
✅ 本稿は、資料的記述だけでは捉えきれない感覚や構造を伝えるため、現場から得た知見を、物語形式で記録した短編(シン小説)です。
本編ーーー👇
昔、日本の山は木材のために植えられた。
杉や檜が、斜面いっぱいに植えられている。
なるべく多く育つように、間隔は狭く。
そして、より強い木になるようにと、急な斜面にも植えられた。
急斜面では、木は重力に逆らって立とうとする。
そのせいか、幹はたしかに強くなるのだそうだ。
その頃、木はよく売れた。
だから人々は、山を切り開き、また植えた。
山は次々と木で埋められていった。
ところが、ある日から木は売れなくなった。
理由はいくつもあるが、山の持ち主にとって大事なのはただ一つ、
金にならなくなったということだった。
それから山は、手入れをされなくなった。
山に入ると、昼間なのに薄暗い。
杉が密集して、光がほとんど地面まで届かない。
雨も、枝葉に弾かれてしまう。
水は地面に落ちない。
まるで山全体が、
撥水加工でもされているように見える。
僕はそれを、
ウォータープルーフマウンテンと呼んでいた。
地面には草も苔もほとんどない。
木は生きているはずなのに、
山全体がどこか死んでいるように見える。
山に水が染み込まないと、
川に流れ出る水も変わる。
山の栄養が川に降りてこない。
川に降りてこないものは、
海にも届かない。
そして海は、少しずつ痩せていく。
牡蠣の仕事で地方に行くと、
僕はよく川を遡った。
シャケみたいだと、誰かに笑われたことがある。
海から川を上り、
山に向かう。
そして山の持ち主を探す。
だいたいの場合、
見つけるまでにずいぶん時間がかかる。
やっと訪ねていくと、こう言われる。
「いや、あの山、俺じゃないよ」
本当かどうかはわからない。
山のことは、誰もあまり話したがらない。
間違って山に入ったりすると、
ときどき、あまり機嫌のよくない人が出てくる。
まあ、実際のところ不法侵入なので、
文句を言われても仕方がない。
痛い目に遭ったことも、
ないわけではない。
警察は呼べない。
呼ばれない。
そのかわり、
しばらく話を聞かされることはある。
そのうち、たいてい聞かれる。
「お前、なんでこんなことしてんだ」
自分でも、
よくわからない。
「海が死ぬかもしれないんです」
そんな話をすると、
相手はだいたい黙る。
それから、古いチェーンソーを持ってくる。
そして、刃を磨き始める。
よく見ると、
たいてい少し錆びている。
その日だけ、
山に入ってくれることもある。
何本か木を切って、
また山を下りる。
それだけでも、
何もしないよりはずっといい。
でも、次の山に行けば、
また最初からだ。
さっきの出来事は、
どこにも共有されていない。
日本の山の数を考えると、
同じことを一万回繰り返しても、
まだ足りないかもしれない。
そんな話を、
あるときクラブハウスでしていた。
米農家だという若い人が、
途中でこう言った。
「すみません」
その人の家にも山があるらしい。
間伐しないといけないのは知っていた。
でも、金にならないし、
なんとなくそのままにしていた。
「海に迷惑をかけていたなんて知りませんでした」
そう言って、
彼はいったんルームを抜けた。
少しして戻ってきた。
「間伐してきました」
最初は三本くらいのつもりだったらしい。
でも途中で、
妙に気持ちよくなってきたのだという。
結局、十二本切ったそうだ。
「でも、これだけじゃ足りませんよね」
彼は山から下りて、
間伐の管理センターに申し込みに行ったらしい。
お金も払った。
貯金を全部使ったという。
農薬を撒くためのドローンを買うつもりで貯めていたお金だそうだ。
「しばらくは昔のやり方で農薬を撒きます」
彼はそう言って笑った。
その話を聞いていた人たちが、
次々に動き出した。
「俺も山に行ってきます」
「親に登記をちゃんとさせます」
そんな声が、
ルームのあちこちから聞こえた。
あれは、2021年の春だったと思う。
SNSには波がある。
あの頃は、
ちょうど波が高かった。
だから、
たまたま遠くまで届いたのだと思う。
僕は今でも、ときどき思う。
人はたぶん、
ずっと同じ話を繰り返している。
山で木が育ち、
川に水が流れ、
海に栄養が届く。
その途中で、
誰かが少しだけ手を動かす。
たったそれだけのことで、
世界はわりと変わる。
ただ、チェーンソーは危ない。
間伐は、
素人が気軽にやるものではない。
プロでも、毎年誰か死ぬ。
もし興味があるなら、
まず映画を一本観てほしい。
『ウッドジョブ』という映画だ。
チェーンソーを買うのは、
そのあとでも遅くない。
山には、まだ錆びたチェーンソーがたくさん眠っている。
これからも、僕は、
ウッドジョブならぬ、ウッド『ジャブ』を繰り返していくだろう。
そしていつの日か、
「グッドジョブ」と言われる日がね。
たとえ、いまは、
ささやかな抵抗であったとしても。

2026-03-04
nvn
✅ 筆者は、接客業、ゲーム制作、食文化、環境デザインの現場を通じて、人と環境の相互作用を観察してきました。
✅ 本稿は、資料的記述だけでは捉えきれない感覚や構造を伝えるため、現場から得た知見を、物語形式で記録した短編(シン小説)です。
本編ーーー👇
昔、日本の山は木材のために植えられた。
杉や檜が、斜面いっぱいに植えられている。
なるべく多く育つように、間隔は狭く。
そして、より強い木になるようにと、急な斜面にも植えられた。
急斜面では、木は重力に逆らって立とうとする。
そのせいか、幹はたしかに強くなるのだそうだ。
その頃、木はよく売れた。
だから人々は、山を切り開き、また植えた。
山は次々と木で埋められていった。
ところが、ある日から木は売れなくなった。
理由はいくつもあるが、山の持ち主にとって大事なのはただ一つ、
金にならなくなったということだった。
それから山は、手入れをされなくなった。
山に入ると、昼間なのに薄暗い。
杉が密集して、光がほとんど地面まで届かない。
雨も、枝葉に弾かれてしまう。
水は地面に落ちない。
まるで山全体が、
撥水加工でもされているように見える。
僕はそれを、
ウォータープルーフマウンテンと呼んでいた。
地面には草も苔もほとんどない。
木は生きているはずなのに、
山全体がどこか死んでいるように見える。
山に水が染み込まないと、
川に流れ出る水も変わる。
山の栄養が川に降りてこない。
川に降りてこないものは、
海にも届かない。
そして海は、少しずつ痩せていく。
牡蠣の仕事で地方に行くと、
僕はよく川を遡った。
シャケみたいだと、誰かに笑われたことがある。
海から川を上り、
山に向かう。
そして山の持ち主を探す。
だいたいの場合、
見つけるまでにずいぶん時間がかかる。
やっと訪ねていくと、こう言われる。
「いや、あの山、俺じゃないよ」
本当かどうかはわからない。
山のことは、誰もあまり話したがらない。
間違って山に入ったりすると、
ときどき、あまり機嫌のよくない人が出てくる。
まあ、実際のところ不法侵入なので、
文句を言われても仕方がない。
痛い目に遭ったことも、
ないわけではない。
警察は呼べない。
呼ばれない。
そのかわり、
しばらく話を聞かされることはある。
そのうち、たいてい聞かれる。
「お前、なんでこんなことしてんだ」
自分でも、
よくわからない。
「海が死ぬかもしれないんです」
そんな話をすると、
相手はだいたい黙る。
それから、古いチェーンソーを持ってくる。
そして、刃を磨き始める。
よく見ると、
たいてい少し錆びている。
その日だけ、
山に入ってくれることもある。
何本か木を切って、
また山を下りる。
それだけでも、
何もしないよりはずっといい。
でも、次の山に行けば、
また最初からだ。
さっきの出来事は、
どこにも共有されていない。
日本の山の数を考えると、
同じことを一万回繰り返しても、
まだ足りないかもしれない。
そんな話を、
あるときクラブハウスでしていた。
米農家だという若い人が、
途中でこう言った。
「すみません」
その人の家にも山があるらしい。
間伐しないといけないのは知っていた。
でも、金にならないし、
なんとなくそのままにしていた。
「海に迷惑をかけていたなんて知りませんでした」
そう言って、
彼はいったんルームを抜けた。
少しして戻ってきた。
「間伐してきました」
最初は三本くらいのつもりだったらしい。
でも途中で、
妙に気持ちよくなってきたのだという。
結局、十二本切ったそうだ。
「でも、これだけじゃ足りませんよね」
彼は山から下りて、
間伐の管理センターに申し込みに行ったらしい。
お金も払った。
貯金を全部使ったという。
農薬を撒くためのドローンを買うつもりで貯めていたお金だそうだ。
「しばらくは昔のやり方で農薬を撒きます」
彼はそう言って笑った。
その話を聞いていた人たちが、
次々に動き出した。
「俺も山に行ってきます」
「親に登記をちゃんとさせます」
そんな声が、
ルームのあちこちから聞こえた。
あれは、2021年の春だったと思う。
SNSには波がある。
あの頃は、
ちょうど波が高かった。
だから、
たまたま遠くまで届いたのだと思う。
僕は今でも、ときどき思う。
人はたぶん、
ずっと同じ話を繰り返している。
山で木が育ち、
川に水が流れ、
海に栄養が届く。
その途中で、
誰かが少しだけ手を動かす。
たったそれだけのことで、
世界はわりと変わる。
ただ、チェーンソーは危ない。
間伐は、
素人が気軽にやるものではない。
プロでも、毎年誰か死ぬ。
もし興味があるなら、
まず映画を一本観てほしい。
『ウッドジョブ』という映画だ。
チェーンソーを買うのは、
そのあとでも遅くない。
山には、まだ錆びたチェーンソーがたくさん眠っている。
これからも、僕は、
ウッドジョブならぬ、ウッド『ジャブ』を繰り返していくだろう。
そしていつの日か、
「グッドジョブ」と言われる日がね。
たとえ、いまは、
ささやかな抵抗であったとしても。

2026-03-04
nvn