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佐藤 言也(さとう ともや)
Tomoya Sato

通称:あの牡蠣の人|サトウゲン|げん

環境デザイナー|日本オイスター協会 創設者|『カキペディア』編集長

牡蠣を入口に、海・山・廃村・野生動物をひとつの循環系として捉え、食・生態系・地域再生を横断する環境デザインを実践。
20年以上にわたり世界最大級の牡蠣百科を編纂し、震災復興支援(3億円超)、行政・大学・地域プロジェクト、環境教育・フィールドワークを推進。

【 専門領域 】
・完全循環のデザイン
・食と環境再生
・廃村・森林・野生動物の境界設計
・ナラティブによる知見共有と教育設計
・フィールドワーク/実践型環境教育

【 講義テーマ 】
『完全循環のデザイン』
——牡蠣から始まる、海・山・廃村の再生


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テーマ:完全循環のデザイン
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——牡蠣から始まる、海・山・廃村の再生

牡蠣が海を浄化し、海が森を育て、山の廃村が自然へ還る。この循環を「デザインする」とはどういうことか。食・生態系・地域再生を横断する実践的な環境デザイン論。

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講義内容
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① 牡蠣と海の生態系——浄化と循環の科学

二枚貝の濾過機能から沿岸生態系の構造を読む。人間の食行動が海洋環境に与える影響を、牡蠣養殖の現場から考察する。

② 廃村を森に戻す——境界の再設計

人里への出没を抑制するための境界設計と獣害対策

日本の廃村約2,900集落を素材に、人間と野生動物の境界線をいかに設計し直すか。環境デザインの方法論と実践事例。

③ 食から読む環境——「世界一うまい牡蠣」プロジェクト

「美味しいものをつくる」行為が、なぜ環境再生につながるのか。セカウマプロジェクト(CF500万円達成)を事例に、食と環境の接続点を探る。

④ フィールドワーク/ワークショップ

山・海・廃村への同行、牡蠣の生態観察、循環デザインのグループワーク。90分講義・半日・一日いずれも対応可。

⑤ ナラティブによる知見共有設計

ゲーム開発経験をもとに、知識や実践を社会へ翻訳・共有するための物語設計と教育プログラム構築。

※対応形式
講義 / ワークショップ / フィールドワーク / 複数回シリーズ

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主な実績
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2004年〜 カキペディア(世界最大級の牡蠣百科)編集長。20年超・1,000記事超を継続編纂

2005年  日本オイスター協会 創設。オイスターマイスター資格制度を確立

2011年  東日本大震災・三陸復興支援。「復興かき」プロジェクトで3億円超の支援を組織。「フランスお返しプロジェクト」エグゼクティブプロデューサーとしてフランス生産者支援も統括

2011年  福岡市の依頼で「かきガールプロジェクト」を監修実施、福岡女子大学 ゲスト講師「フランスの牡蠣文化および最新の牡蠣養殖勉強会」

2012年  かき日本一決定戦 主催(日本初・日本一の牡蠣を決定)

2014年  熊本県委託『熊本オイスター復活プロジェクト』アドバイザー(〜2015年4月)

2014年  宮城県依頼 シンポジウム『宮城の牡蠣養殖の今後を考える』登壇

2015年  「世界一うまい牡蠣をつくる」クラウドファンディング、当時国内最高額500万円超を達成

2016年  東京家政大学・応用調理学研究室(峯木真知子教授)に招聘され、特別講義を実施

2018年  東京・代々木八幡にラボ(研究センター)を開設。
12名以上限定・完全予約制の牡蠣体験プログラムを運営、体験型(ナラティブ)レストラン、フィールドワーク、オイスターマイスター育成を行う。2年先まで予約が埋まる状態が続く

2019年  「牡蠣に合う日本酒大賞」開催(史上初)。延べ400人・25回のブラインドテイスティングで選考。現在も日本酒メディア・ECサイトで広く引用される業界標準となっている

2021年  山から海まで国内のフィールドワークへ完全移行。廃村の森林再生・人間と野生動物の境界設計に専念

2025年  活動拠点を再編。環境デザイナーとして、海・山・廃村を横断する循環設計と教育活動を展開中

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メディア出演履歴
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TV  |2012年4月 フジテレビ『スーパーニュース』"牡蠣日本一決定戦(特集)"

TV  |2012年11月 TBS『ガチャガチャV6』"牡蠣の日(11月23日)特集" 生産地ロケ取材

雑誌 |2012年12月 幻冬社『Gainer』"牡蠣がある幸せ" 牡蠣特集

TV  |2014年8月 MX-TV『バラ色ダンディ』"牡蠣で女子力アップ"

ラジオ|2015年1月 J-WAVE『ハローワールド』"牡蠣 特集"

TV  |2015年2月 テレビ朝日『中居正広のミになる図書館』"牡蠣の不都合な真実"

TV  |2015年3月 サンテレビ『堀江貴文の世界を変えてしまおう会』"世界一うまい牡蠣で世界を変える!"

TV  |2015年9月 フジテレビ『My Value My Way』

雑誌 |2017年10月 LEON『いまが旬!「牡蠣にはシャブリ」論争に決着をつけよ!』


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プロフィール
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京都・太秦生まれ。フランス・イギリスで少年時代を過ごし、青山学院大学卒業。ゲームクリエイターとして脳トレゲームの先駆的作品を手がけた後、牡蠣の研究・普及活動へ転身。2008年以降、日本各地の沿岸・山間地域をフィールドとし、廃村再生や人間と野生動物の境界設計を実践。「人間と自然の共存」を軸に、食・生態系・廃村再生を横断する独自の環境デザイン論を、国内各地のフィールドで実践・更新し続けている。

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連絡先
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samuraioysters@gmail.com

instagram : ostras.kakivmivs
カキペディア:kakipedia.blog.jp

note:note.com/donegism



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ナラティブバージョン
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あの滝の人…もとい…あの牡蠣の人ことサトウゲン(佐藤言也)のプロフィールです

ざっとまとめ👇
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私は、日本の廃村を森へ戻し、
人間と野生動物の境界を再設計する環境デザイナーです。

その原点は、世界一うまい牡蠣を作るために海と山の循環を整えた経験にあります。
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なぜ「あの牡蠣の人」なのか?



基本的に人と繋がるときは「紹介していただける」ことがほとんどな人生でした。事前に「どんな人なのか」を簡単でも説明しておいていただける…ありがたいことです。

そこでたいてい「あー、あの牡蠣の人ですよね?」と…苗字は日本でも一番多いと言われる「佐藤」ということもあり「あ、そうです」と答えているうちに「牡蠣の人」で検索すると出てくるようになったんです…ありがたいことです。

そもそもなぜ「あー、あの牡蠣の…」と言われるに至ったのか、牡蠣…もとい下記に経歴をまとめましたので、よかったらご参考ください


あの牡蠣の人の経歴



生まれたのは京都の右京区の太秦の映画村の近く

某国営放送の敏腕プロデューサーと世界的ハープ奏者の一人息子、つまりは長男であり一人っ子です

幼少期は二人とも多忙がゆえに、横浜と京都を行ったり来たりしながら、主に祖母に預けられて育ちました

祖母は「テロリストとは言えないが限りなくそれに近いキリスト教プロテスタント系団体」とWikipediaに記載される宗教団体の熱狂的信者でした

父の仕事の都合で小学校3年生のときにフランスへ…ソ連が崩壊しベルリンの壁が崩れ、IRAやアルジェリア解放戦線のテロが起きている激動なヨーロッパで本当にたくさんの貴重な経験ができました

小学校5年生のときにイギリスの寄宿学校に渡り中学校3年生の夏休みまで寮生活を体験

中学校3年生で帰国したのちは「帰国子女」枠を活かして青山学院高等部に入学、このまま大学まで進学します。

起業…銀座で黒服…結婚…テニスインストラクター…などなど大学では本当に多くの経験をしました

就職活動もして日本総研(三井住友銀行系のシンクタンクです)内定もいただきましたが、結局、就職せず

銀座の黒服をやりつつ、焼酎ビジネスや富士通やゲートウェイ(牛で有名なパソコン)のサポートセンターの立ち上げなどをやりつつ、運命の2003年を迎えます


ゲームクリエイター時代

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大好きだった祖母が認知症になってしまい、本気でどうにかしたいと思っていましたが、世界中の誰もが解決できない不治の病でした…「不可能ってあるんだ」と

そんなときに「小学生の計算ドリル」をやったら脳波が改善した、という話を聞きそれをケータイゲームにしてドコモⅰアプリコンテストに応募したところ「審査員特別賞」をいただいたんです

最初は「ボケ防止ゲーム」で応募していたのですが「ボケ」が使用禁止ワードとのことで「脳力UPゲーム」(=のちに「脳トレ(脳ゲー)」と呼ばれるようになる)としてリリース

それが世界初の「脳トレゲーム」としていまでも評価いただいています

月額¥300(いまでいうところのサブスクビジネスですね)ダウンロードし放題のケータイゲームサイトをオープンし、動物占いなどの他のコンテンツの開発運営を任されるなどして、たった3人の会社は2005年にはとんでもない売上に

このときに短期間でも「お金持ち」ということを味わえたこと「お金」のスゴさや、メリットとデメリットを知れたことはこのあとの僕の人生を大きく変えました

オンラインで月額¥300のコンテンツの次は、¥500、¥1000、¥3000とビジネスを創れないか?と日々模索していたところで「牡蠣」に出会いました


そして、あの牡蠣の人へ

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  そして、生まれたのが「オイスターマイスター」
いまでいうところの「資格ビジネス」ですね

オンラインで「牡蠣クイズゲーム」をプレイし、クリアできたら「Jr.(ジュニア)オイスターマイスター」という資格が発行されるという仕組み

2005年9月にこの「オイスターマイスター」という資格制度とそれを発行するための「日本オイスター協会」を創設しました

牡蠣クイズゲームを創るにあたり、あまりにも牡蠣の情報が乏しく、必死にカキ集めた牡蠣の情報を、これまた当時はやり始めていたブログにまとめていました

これがいまでは世界最大となったオンライン牡蠣百科「カキペディア」のはじまりです

2008年に2回目の結婚もゲームビジネスも大爆発して破綻を迎えたのちも、牡蠣に関するコンテンツは変わらず継続、この当時、重度の引きこもりになっていたのですが、そこから外貝…もとい外界に引きづり出してくれたのも牡蠣でした、本当にありがたかったな、といまさらながら思います

2011年3月の震災の折には三陸(宮城・岩手)が日本有数の牡蠣の産地ということもあり、たくさんの活躍の機貝…機会をいただけました

「復興かき」という、いまでいうところのクラウドファンディングのような支援プロジェクトを仙台のパートナーと共に立ち上げさせていただき、3億円を超える支援が集まりました

フランス政府からのご指名で「フランスお返しプロジェクト」というフランスの牡蠣生産者からの支援をエグゼクティブプロデューサーという肩書きまでいただき取りまとめさせていただいたり

2012年4月には「かき日本一決定戦」を主催、フジテレビさんに特集を組んでいただけるなどしました。日本ではじめて「日本一の牡蠣」が決定しました

カナダのウィスラーのリステルホテルさんが主催されている(現在コロナで休止中)「かき速あけ世界大会」の日本代表選手の選考も行いました

最盛期には日本オイスター協会の会員も2万人を超える組織になっていました

2015年にはホリエモンさんの番組「世界を変えてしまおう会(サンテレビ)」に出演させていただき合格、その流れから「セカウマ=世界一うまい牡蠣を創ろう!」というクラウドファンディングプロジェクトをCampfireさんで立ち上げさせていただき、当時最高額の500万円超えを達成(総額5,010,901円)

2018年には東京の代々木に専用の「ラボ(研究センター)」を構え、最大2年先の予約まで埋まる「かきにくがとう」など飲食のコラボコンテンツや人気牡蠣イベントをいくつも生み出せるようになり

2019年には延べ400人以上もの方がブランインドで牡蠣に合う日本酒を決定する「牡蠣に合う日本酒大賞」も実現

気が付けば、消費者への殻付き生牡蠣の普及だけでなく、提供者のみならず生産者の育成…牡蠣のつくり方を指導させていただくまでになり「世界で一番牡蠣に詳しい男」としてテレビ番組で紹介されるようになっていました


環境デザインという新たな境地

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牡蠣は1個が1日400リットル以上も海水を濾過して育ちます

「世界一うまい牡蠣」を創るには「おいしい海」が必要…そんなことから「海にアマモを植える」など海のバランスを整える活動が増えていきました。

そこに、2010年以降の気候変動(異常気象)も相まって、2021年現在、気が付けば「環境デザイナー」という肩書きで活動しています。

最初はおいしい牡蠣のために…から「人類と自然との共存共栄」について真剣に考え調査研究するに至っています

いま日本はモノで溢れていて、無駄になってしまうモノ(建物、食べ物など)をトランサイクル(サスティナブル・リビルディング・アップサイクル)する活動に自然にシフトしているところです


気がつけば、彼岸を渡ってしまっていた

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実は2008年から「家なき子」かつ「全財産はカバンひとつ」という生活を送っております

令和2年2月22日22時22分に婚姻届を出す、などと、相変わらずのヒトデナシぶりを発揮してしまったからでしょうか。2ヶ月で離婚したのち、2021年2月頃から心身ともにおかしくなり、人里から離れねば、と

コロナ禍のおかげもあり、日本全国各地の素晴らしい施設を、全館貸切状態で利用できたりなど、世捨て人とは思えないほどに、満ち足りた生活を経て

気がつけば、山の中に
そもそも、うまい牡蠣をつくるためには、山も調える必要があり、間伐など山に調査に行くことも多かったのもあり

いま日本の山には、ものすごい数の廃村があります。薪を使わなくなり、林業も成り立ちづらくなったなどなど

そんな日本中の廃村を渡り歩いていくだけで、もう何百年は暮らしていける。家賃からの解放。放棄された畑には、謎に巨大化したり変遷した野菜みたいなものが盛りだくさん

動物たちも住んでましたけどね
うさぎ、鹿、猿。。。そして、話題の「熊」

気がつけば、僕は人でなしから、鬼(境界)に成っていて

ふと、人類と自然との共存共栄を志していたことを思いだし、せっかくなら、ちゃんと山々の境界を再設計し、熊が街中に降りて行かないようにできたら

それだけでなくとも、廃村を森に戻す活動に、僕は価値を感じ

とはいえ、いまは税金投入モデルしか思いつかない。いまは熊のおかげさまで、獣害対策の公的予算は増えましたが、街中に降りてきたら撃ち殺す、では根本解決にはなっていない。

再生……再設計……薬草……他の事業化モデルはないものだろうか
みなさん、お知恵をお借りできないものだろうか


懲りもせず『不可能を可能にする』挑戦

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そんなこんなで、2026年2月、久しぶりの人里……撃ち殺されないようにしないと、ですね

あらためて、日本の山々の「すべての廃村を森に戻す」という不可能を可能にしたい環境デザイナーとして

叶うなら、人類と自然との共存共栄を実現しつつ、地球環境の変化に適応できる次世代の人類の誕生までを快適につなぎたい

ここまで読んでくださり本当にありがとうございます

なんにもない僕ですが、それでも、それでも。引き続きよろしくお願いいたします。


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シン小説バージョン

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私は京都の太秦で生まれた。映画村の近くで、物語が日常に混じるような場所だった。

父は放送の仕事をし、母は音楽に関わっていた。忙しい両親に代わり、幼いころの多くの時間を祖母のもとで過ごした。

祖母は信仰に生きる人だった。善悪を単純に分けない世界の見方を、私はそこで覚えたのかもしれない。

小学校の途中からヨーロッパで暮らし、イギリスの寄宿学校に通った。ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が消え、各地で紛争やテロが起きていた時代だった。世界が不安定であることを、子どもなりに肌で感じていた。

帰国後、青山学院に進み、そのまま大学へ進学した。起業、アルバイト、結婚、スポーツ指導など、学生生活はひとつの職業では説明できないほど多様だった。日本総研から内定を得たが、最終的に就職は選ばなかった。

銀座で黒服として働きながら、焼酎ビジネスやコールセンターの立ち上げに関わった。さまざまな仕事を行き来するうちに、人生は直線ではなく、複数の小径が交差する場所に近いものだと感じるようになった。

2003年、祖母が認知症を発症した。どうにかしたいと思ったが、当時それは「治らない病」とされていた。不可能という言葉を、初めて具体的な形として受け止めた瞬間だった。

小学生向けの計算ドリルが脳波に良い影響を与えるという話を聞き、それを携帯電話向けのゲームにした。

NTTドコモのコンテストで賞をいただき、「脳力UPゲーム」として配信された。それは後に「脳トレ」と呼ばれるジャンルの先駆けのひとつとして扱われることになる。

月額制コンテンツの運営を通じて、短期間ではあるが大きな収益を経験した。お金が持つ力と、その影の部分を同時に知った時期だった。

次に私が関心を向けたのは牡蠣だった。

オンライン資格制度「オイスターマイスター」と、日本オイスター協会を立ち上げた。牡蠣に関する情報を集めるうちに、ブログとしてまとめた資料が、やがてオンライン牡蠣百科「カキペディア」へと発展した。

震災後の三陸では、牡蠣産業の復興支援に関わった。クラウドファンディング形式の支援プロジェクトは大きな支援を集め、フランスの生産者からの支援を取りまとめる機会にも恵まれた。

牡蠣は一日に数百リットルの海水を濾過する。良い牡蠣を育てるには、良い海が必要だ。そして海の状態は、森と川のあり方によって形づくられる。

その理解が、私を山へ向かわせた。

いま私は、日本の山間部で、廃村を森へ戻し、人間の暮らしと野生との境界をゆるやかに引き直す仕事に関わっている。

こうして言葉にすると、ずいぶん意図的な使命のように聞こえる。
でも実際の始まりは、もっと小さく、個人的なものだった。

ただ、美味しい牡蠣を食べたかったのだ。
牡蠣は海の状態を映す。

水が澄み、栄養が巡り、微細な生命のバランスが整っているとき、身はふくよかに育ち、甘みを帯びる。沿岸の環境を調べていくうちに、海の状態は、上流の川や森のあり方によって形づくられていることを知った。

海だけでは足りなかった。
それで私は山へ入った。

日本の内陸部には、点在するように放棄された集落がある。薪の価値が失われ、林業が生業として成り立たなくなったあとに取り残された場所だ。そこでは時間が滞留している。屋根はたわみ、ガラスは割れ、かつて光を受けていた窓枠を風が通り抜けていく。

放置された畑では、野菜が奇妙な大きさに育ち、耕作の記憶を持たないまま生き続けている。鹿はためらいなく歩き、猿の群れがゆるやかに移動する。夜になると、見えない気配が空気を濃くする。

熊にも出会った。

彼らは本来、人間を求めて現れるわけではない。境界が曖昧になると、食べ物を求めて降りてくる。町に熊が現れれば、やがて撃たれる。それは現実的で、避けがたい判断だろう。それでも、その順序はどこか違っているように思えた。

境界は、すでに壊れているのかもしれない。

私は廃村を渡り歩きながら暮らした。家賃はない。水は冷たく澄んでいる。薪は拾える。生活のリズムは、ほとんど透明になるほど遅くなる。

人の住まいの端に身を置いていると、時間の感覚が変わってくる。交通も人工の光もない場所では、注意は別のものへ向かう。風向き、土の湿り、視界の外で動く気配。

境界に生きることは、自分の内側の境界を感じることでもある。

やがて私は、熊対策にも関わるようになった。

最初から社会的義務感があったわけではない。土地が手入れされ、畑が森に戻り、餌場のバランスが整えば、熊が降りてくる頻度は減る。原因と結果は、静かな連鎖の中にある。

その後、いくつかの出来事を経て、私は一度社会から離れ、また戻ってきた。再び山に戻ればいいと思っていた。しかし実際に戻ってみると、以前と同じようにあの静けさの中に身を置くことができなくなっていた。

境界を越えると、両側が変わる。

いま、放棄された集落を森へ戻すことが、境界を穏やかに引き直す手がかりになるのではないかと考えている。

森は水を蓄える。
土砂災害を防ぐ。
気候の極端さを和らげる。
薬草や食の資源を育む。
教育や研究、再生の場にもなり得る。

もちろん課題は多い。土地所有、法制度、維持管理、資金。現在は公的資金に支えられている部分も大きい。

しかし森の価値は、数十年という時間をかけて、静かに返ってくるものであり、数値化しにくい。

美味しい牡蠣を求めることから始まった関心は、やがてひとつの問いへと広がった。人間と自然は、互いを消し合うことなく生きていけるのだろうか。

仕事はまだ終わっていない。決定的な成果と呼べるものは少ない。それでも、小さな変化は起きている。

風が通るようになった場所がある。

かつての畑の近くで、動物の足跡が減った場所がある。
雨のあとでも濁らなくなった小さな流れがある。

静かな変化だ。気づかれないかもしれない。

それでも、境界は少しずつ呼吸を取り戻している。

人間と自然が、互いに無理のない距離を見つけるには、長い時間がかかるだろう。

私はいま、その長い時間の途中にいる。



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2026-02-22
2021-07-20