‪‪ ※こちらの記事はセカウマオンラインサロンで約1年前に公開されたものです。最新の情報はこちらのサロンにて☟


今日は、家なき子のまま10年も生き延びてるのか、その謎に迫りたいとおもいます

ことの発端は2008年に2番目の嫁と離婚したことにはじまります

例のゲームの騒乱とかいろいろ重なったあげくの離婚劇だったので、その失意はハンパなく、しばらくは旅にでたり、ホテル暮らしをしてたりしました。。またに付き合った女性の家に転がり込んだり、、、

ゲーム時代に資産運用?といわれ買ってたマンションとかもあったのですが、その当時、ゲームや牡蠣やらの繋がりで海外からきた知り合いや友人が長期滞在できるところがなく、

彼らに開放していたら、いつのまにかそこはそこで、なんだか知らない外国人がたくさんいる謎の施設となってしまっていたり(この話はまた別の機会に)

そんなこんなで3年くらいたち、2011年の震災

宮城や岩手は牡蠣の産地で知り合いも多く、速攻で「牡蠣復興募金」を立ち上げたり、現地に長期で入ったり、

あとは、日本を支援したいけど窓口がわからないという海外の牡蠣関係者の人たちから連絡がきてそれを取りまとめたりするのに渡航してたりとか

ホントに日本が終わってしまうかも、、、と思ったんですね。日本がひとつの会社なのだとしたら、この東北の負債は致命的だろう、、、と(実際はそんなことはなかったわけなのですが)

僕は幼少期に父の都合でヨーロッパにいたときに「チェルノブイリ」をくらっており、さらには海外との折衝も多かったがゆえに「フクシマ」も気持ちに重くのしかかりました

で、どうせ終わってしまうならやれることをすべてやり切ろう、とゲームの騒乱で朽ち果てていたやる気というか、戦う理由みたいなものが戻ってきたんですね

しかも、創っていた「日本オイスター協会」や「オイスターマイスター」が機能して、日本中から3億円ものオモイ(お金)が集まったのも、自分の存在価値や意義をあらためて感じられた大きな一撃となりました

そしてなにより、世界中の牡蠣生産者が「日本の牡蠣」を持って行って育てていて、みんなが日本を応援したい!というとんでもない国際連合というか、グローバルコミュニティが100年以上の時をかけてひっそりと形成されていたことを知ったのです

それまでも世界中の牡蠣生産者が日本の牡蠣を育てていることは知ってましたが(フランスなんて、自国の牡蠣が絶滅してしまい、いまでは日本の牡蠣が99%を占めてます)

まぁ、そんなこんなで「できることから!」というのがなにかと牡蠣だったので、真剣に取り組みだしたわけです

で、国内外問わず、生産者のところでウルルン滞在記的に三か月とか滞在するようになるわけですが、、、

②へ続く👇





2020-06-19