- フランス語版|Francais
目的|
1970年代に日本のマガキ種によって絶滅の危機を脱したフランスのカキ養殖。そのDNAの源泉となる三陸が311の津波で大きな被害を受けました。
「今度はフランスが日本を助ける番だ!」とジャック・アタリ氏が発起人となり「フランスお返しプロジェクト」が発足されました。その支援活動は三陸カキ産地復興に大きく貢献しております。
年表|
1966年~1970年
フランスのカキ市場のほぼ100%を占めていた「ヨーロッパヒラガキ」が病気により絶滅の危機に瀕する。
1970年前後
この病気に打ち勝てるカキを世界中に探し求め、病気に勝てるか生産者や学者が力をあわせ調査を行った。世界中のカキを試し、そこで日本のマガキ種が病気に耐性があることがわかる。
外来種である日本のマガキ種を導入するか賛否両論あったが、牡蠣養殖産業を継続するために、導入が決まった。
1970年~1980年
この日本のマガキ種の中でも、宮城のマガキ種がフランスの環境により適していることが判明。
宮城県からも交配用および食用のカキを輸入するようになる。
この時代は全生産者を統括する機関はなかったので、広島種を使う生産者もいれば宮城種を使う生産者もおり、混在することとなった。フランスからみればどちらも日本のマガキである。そのためいまでもフランスのカキを救ったのは広島説と宮城説が混在しているが両方正しいということになる。
ひとつ確実なことは、日本のマガキ種は世界的にみても大変強い品種だということ。
当初は、食用(成貝)の輸入も行っていたが、フランスのカキ養殖復興とともに、交配用の母貝のみの輸入になっていく。
1980年~2008年
日本由来のマガキ種でカキ養殖を行うことが定番となり、市場に出回るカキの99%が日本由来種となった。
また、約10年周期でフランスのカキが死んでしまう病気が流行。そのたびに、宮城県から交配用の母貝を入手し、カキ養殖を維持してきた。
2008年~2011年
フランスでカキの稚貝(赤ちゃん)が死んでしまう病気が流行り始める。
また宮城から交配用の母貝を入手する手配が完了していた矢先に…
2011年3月11日
東北地方で大規模な津波が発生。
世界最強種であるマガキもすべて流されてしまうという事態となる。
津波が発生しなければ、3月17日に宮城県からフランスのIfremer(国立海洋研究所)に5000個の交配用の母貝が送られる予定であった。
2011年4月
ジャック・アタリ氏が発起人となり「日本のカキを救う」プロジェクトが発足。Planet Finance Japanに日本での提携機関を探すよう指示。
2011年5月31日
日仏両方の牡蠣事情に詳しいカキペディア編集長に必要な支援内容についての調査が委託される。
2011年6月1日
フランスによる三陸カキ産地支援『フランスお返しプロジェクト』が具体的にスタート。
2011年6月21日
フランス側は支援金ではなく、物資での支援を行いたいとの提案。
ところが、フランスと日本は、カキに関する文化・消費・提供・流通・生産・行政がすべて違うため、両者の話が食い違い遅々として支援が進まなかった。
あわせて、フランス内部でも、支援活動がいくつかに分かれて行われていた。
2011年7月1日
フランスお返しプロジェクトの関係者の活躍により、すべての問題は解決され支援体制が確立された。
またフランス国内において、商工会議所の代表、知事。日仏交流に詳しい政治家などを交え記者発表を行った。


2011年6月22日~7月15日
カキは産卵期を迎え、7月15日までに養殖機材をそろえ海に沈めなければ、一番重要となる「種の保存」に繋がる種生産が間に合わなくなる。
そこで、フランスには存在しない日本のカキ養殖用の機材を、フランスの関係者全員が一丸となって、休日を返上で捜索。
最終的に10トンもの機材となり、それを時間がないため、空輸で三陸カキ産地まで届けられた。
この機材は「種の保存」の大きな礎となり、遠くフランスも応援しているという事実が、なにより被災地のカキ生産者の大きな励み、モチベーションとなった。
2011年10月31日
Foundation de France(フランス国立基金)より20万ユーロの支援金が確保される。
この支援金は、宮城唐桑に「カキの販売センター」を建設する費用など、カキ生産者が必要なモノにカタチを変えて提供された。
2011年11月~2012年5月
フランスお返しプロジェクトがキッカケとなる被災地支援など交流やイベントが複数開催される。
2012年5月25日
被災地の支援だけでなく、フランスでカキの病気が流行していることなど、両国で力をあわせ取り組む課題が多くある。
そこで、フランスお返しプロジェクト をさらに国家レベルの日仏交流に発展させるべく、両国の主要関係者による会談が5月25日に行われた。

※この間にも様々な活動がありましたが整理して掲載していきます。
2015年9月5日
ポリカルチャー東京主催による総合プロデューサー ロバート・ベルディエ氏を招いた日仏友好ディナーパーティが催された。
2016年3月
またフランスで牡蠣が死んでしまう病気が再開。フランスお返しガエシプロジェクトを発動
※写真は僕の手持ちの分をイメージ用に載せました。
Ver.2015-09-05,2014-04-21,2012-05-25
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目的|
1970年代に日本のマガキ種によって絶滅の危機を脱したフランスのカキ養殖。そのDNAの源泉となる三陸が311の津波で大きな被害を受けました。
「今度はフランスが日本を助ける番だ!」とジャック・アタリ氏が発起人となり「フランスお返しプロジェクト」が発足されました。その支援活動は三陸カキ産地復興に大きく貢献しております。
年表|
1966年~1970年
フランスのカキ市場のほぼ100%を占めていた「ヨーロッパヒラガキ」が病気により絶滅の危機に瀕する。
1970年前後
この病気に打ち勝てるカキを世界中に探し求め、病気に勝てるか生産者や学者が力をあわせ調査を行った。世界中のカキを試し、そこで日本のマガキ種が病気に耐性があることがわかる。
外来種である日本のマガキ種を導入するか賛否両論あったが、牡蠣養殖産業を継続するために、導入が決まった。
1970年~1980年
この日本のマガキ種の中でも、宮城のマガキ種がフランスの環境により適していることが判明。
宮城県からも交配用および食用のカキを輸入するようになる。
この時代は全生産者を統括する機関はなかったので、広島種を使う生産者もいれば宮城種を使う生産者もおり、混在することとなった。フランスからみればどちらも日本のマガキである。そのためいまでもフランスのカキを救ったのは広島説と宮城説が混在しているが両方正しいということになる。
ひとつ確実なことは、日本のマガキ種は世界的にみても大変強い品種だということ。
当初は、食用(成貝)の輸入も行っていたが、フランスのカキ養殖復興とともに、交配用の母貝のみの輸入になっていく。
1980年~2008年
日本由来のマガキ種でカキ養殖を行うことが定番となり、市場に出回るカキの99%が日本由来種となった。
また、約10年周期でフランスのカキが死んでしまう病気が流行。そのたびに、宮城県から交配用の母貝を入手し、カキ養殖を維持してきた。
2008年~2011年
フランスでカキの稚貝(赤ちゃん)が死んでしまう病気が流行り始める。
また宮城から交配用の母貝を入手する手配が完了していた矢先に…
2011年3月11日
東北地方で大規模な津波が発生。
世界最強種であるマガキもすべて流されてしまうという事態となる。
津波が発生しなければ、3月17日に宮城県からフランスのIfremer(国立海洋研究所)に5000個の交配用の母貝が送られる予定であった。
2011年4月
ジャック・アタリ氏が発起人となり「日本のカキを救う」プロジェクトが発足。Planet Finance Japanに日本での提携機関を探すよう指示。
2011年5月31日
日仏両方の牡蠣事情に詳しいカキペディア編集長に必要な支援内容についての調査が委託される。
2011年6月1日
フランスによる三陸カキ産地支援『フランスお返しプロジェクト』が具体的にスタート。
2011年6月21日
フランス側は支援金ではなく、物資での支援を行いたいとの提案。
ところが、フランスと日本は、カキに関する文化・消費・提供・流通・生産・行政がすべて違うため、両者の話が食い違い遅々として支援が進まなかった。
あわせて、フランス内部でも、支援活動がいくつかに分かれて行われていた。
2011年7月1日
フランスお返しプロジェクトの関係者の活躍により、すべての問題は解決され支援体制が確立された。
またフランス国内において、商工会議所の代表、知事。日仏交流に詳しい政治家などを交え記者発表を行った。


2011年6月22日~7月15日
カキは産卵期を迎え、7月15日までに養殖機材をそろえ海に沈めなければ、一番重要となる「種の保存」に繋がる種生産が間に合わなくなる。
そこで、フランスには存在しない日本のカキ養殖用の機材を、フランスの関係者全員が一丸となって、休日を返上で捜索。
最終的に10トンもの機材となり、それを時間がないため、空輸で三陸カキ産地まで届けられた。
この機材は「種の保存」の大きな礎となり、遠くフランスも応援しているという事実が、なにより被災地のカキ生産者の大きな励み、モチベーションとなった。

2011年10月31日
Foundation de France(フランス国立基金)より20万ユーロの支援金が確保される。
この支援金は、宮城唐桑に「カキの販売センター」を建設する費用など、カキ生産者が必要なモノにカタチを変えて提供された。
2011年11月~2012年5月
フランスお返しプロジェクトがキッカケとなる被災地支援など交流やイベントが複数開催される。
2012年5月25日
被災地の支援だけでなく、フランスでカキの病気が流行していることなど、両国で力をあわせ取り組む課題が多くある。
そこで、フランスお返しプロジェクト をさらに国家レベルの日仏交流に発展させるべく、両国の主要関係者による会談が5月25日に行われた。

※この間にも様々な活動がありましたが整理して掲載していきます。
2015年9月5日
ポリカルチャー東京主催による総合プロデューサー ロバート・ベルディエ氏を招いた日仏友好ディナーパーティが催された。
2016年3月
またフランスで牡蠣が死んでしまう病気が再開。フランスお返しガエシプロジェクトを発動
※写真は僕の手持ちの分をイメージ用に載せました。
Ver.2015-09-05,2014-04-21,2012-05-25