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第2次大戦後、日本に駐留していた連合軍の総司令官、かの有名なマッカーサー元帥と牡蠣の意外な関係とは!?

実は”アメリカ産”として有名な「KUMAMOTO」の種を日本からアメリカに持ち出したのは、このマッカーサーさんなのです。

昭和20年10月のある日のこと

アメリカにおいて乱獲や病気で絶滅の危機に瀕していることが日本にいるマッカーサー元帥に伝わりました。

それに対し、日本の『種ガキ(牡蠣のタマゴのようなもの)』は世界的にみても強く、その病気にも耐えられることがわかりました。

そこで、マッカーサー元帥は日本政府に対して「種ガキ」八万箱の輸出を要請したのです。

そんなに大量の『種ガキ』を供給できるのは、最大の産地である広島が候補となる・・・ところが、広島は被爆地であったため、それどころではなく、しかもアメリカ国内でのイメージの問題もありました。

そこで、次に有名な宮城県で調達することになったものの、宮城県産はもともとの絶対量が少なかったのです。

そのような状況の中で、白羽の矢が立ったのがクマモト(熊本)でした。

熊本のマガキ養殖の歴史は古く、慶応年間から行なわれていたとも言われているくらいの、実は歴史の深い牡蠣の産地。

アメリカへの輸出は、昭和23年以降6年間にわたり、合計2787箱に達したと記録されています。

まずはワシントン州で試験養殖されました。

そして、成長が早く剥き身が小粒で丸々とし、肉の色が白くて美しく、味も香りもいいということで高い評価を得ることとなります。

当時のシカゴ相場では、クマモトは太平洋産牡蠣の三倍の値がつき、「ウエスタン・ジェム(西方の宝物)」と呼ばれて絶大な人気を博したという、その評価と人気をあらわすエピソードが残っているくらいです。

しかし、昭和35年頃にはアメリカでも「種牡蠣」自体の養殖生産が可能となり、日本からの輸出は中止されました。

しかも、現在の日本では「クマモト」は生産されておらず、いつのまにか「クマモト」はアメリカ産の牡蠣になってしまいました。

こうして、クマモトは「アメリカの牡蠣」となったのです。


【バージョン】
2010-07-17改訂
2009-10-12改訂
2008-08-14改訂
2008-04-21公開



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