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牡蠣は日本を救う|オイスターマイスターになろう!日本オイスター協会
三陸新報|【顕彰碑の手入れをする知産地賞の会のメンバー=石巻市荻浜漁港】
  

現在の「世界」における牡蠣養殖(特に稚貝=カキの赤ちゃん)の技術を確立したのは実は日本人なのです。

特にアメリカの牡蛎乱獲による絶滅の危機を救ったといっても過言ではない。

その方の名は宮城新昌(みやぎしんしょう)氏。

あの有名な岸朝子さん(料理記者・料理の鉄人に出演)のお父様です。

そしてその拠点は、今回の最大の被災地でもある宮城県の石巻・・・

日本が世界に誇れる牡蠣を失ってはいけない!


岸朝子先生が審査委員長を務めた「かき日本一決定戦」の模様がわかる動画です 。震災復興やこの記事についての内容がもっと深く語られています☟



出典情報:
・三陸河北新報社 
・Kaku_qさん 


2020-06-26, 2011-05-07, 2010-06-14 【保存用】 ■カキ養殖育ての父の案内板 2010.05.19 宮城新昌氏顕彰碑建立から30年石巻・荻浜の碑文を要約娘・岸さんの言葉も刻み21日に除幕式/ 【顕彰碑の手入れをする知産地賞の会のメンバー=石巻市荻浜漁港】  「世界のかき王」と呼ばれ、カキ養殖を石巻に伝えて産地に育てた宮城新昌氏らの顕彰碑が建立から30年が過ぎ、碑文が読みにくくなっている。食を通して石巻地域の観光振興を目指す「知産地賞の会」(代表・後藤宗徳石巻観光協会長)は碑文の要約と、宮城氏の次女で、石巻観光大使も務める食生活ジャーリスト岸朝子さん(86)のメッセージを刻んだ案内板の設置を進めている。21日に岸さんらが出席して、石巻市荻浜の現地で除幕式を行う。  知産地賞の会は、宮城新昌氏らの功績をあらためて多くの人に知ってもらい、石巻の観光PRに尽くしている岸さんに感謝しようと、顕彰碑の前に要約文などを刻んだ案内板を設置することにした。石巻かきブランド化事業委員会(石森裕治委員長)が資金面などで支援している。  顕彰碑は1979年、漁業関係者で組織した建立委員会が石巻市荻浜漁港の一角に設置した。宮城氏とともに技術開発と事業化にかかわった宮城幸助、宮城助次郎両氏を含む宮城一族をたたえる文を刻んでいる。  碑文は長文の上、建立から30年経過して読みにくくなっている。顕彰碑の場所が分かりやすいよう、県道脇に入り口を示す道標も立てる準備も進めいる。16日には知産地賞の会が顕彰碑周辺の草刈りをし、周囲の鎖を塗装し直した。  知産地賞の会は「宮城氏のおかげで、今の沿岸漁業者の生活がある。種ガキ輸出では世界のカキを救った。宮城氏の功績を多くの人に知ってほしい」と話している。  除幕式は午前11時から現地である。前日20日には、岸さんと伊達家18代当主の泰宗氏が「北の茶所」として知られる石巻市桃生町の鹿島茶園を訪れ、茶摘みを体験する。2人は石巻芽生会が検証、再現した「伊達の牡蠣(かき)料理」も味わい、食文化と歴史をひもとく。  宮城 新昌(みやぎ・しんしょう 1884~1974年)沖縄県出身。同県立農林学校卒業後、米国ワシントン園芸学校で学ぶ。ルーズベルト大統領が天然カキの乱獲問題を憂慮していることを知り、農政から水産に進路を転換。帰国後、万石浦に養殖場を設置。種ガキの輸出技術とカキの垂下式養殖技術を開発。カキ養殖を飛躍的に発展させた。日米間の養殖事業を促進する国際養蠣株式会社を設立、世界の食用カキの90%は石巻にルーツがあると言われるまでに石巻産カキの名声を高めた。