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photo via. OystersJapan

ここは俺が子供のとき、牡蠣やあさりだけでなくいろんな貝がいっぱいいて、みんなで潮干狩りしてた。それがある日、みんないなくなっちまった

セカウマ認定かき開発者の候補のひとりに栗林正英(35)という男がいる。大分は国東半島のとある干潟で、その干潟を活用した牡蠣養殖を行っている牡蠣生産者だ。

ずっとやんちゃしてきた。なのに地元のみんなに助けられてここまでこれた。だから地元のためになんでもいいからなにかしたかった

親父さんが、その干潟のエリアで漁師だったという。でも自分は継がなかった。その後悔は残っていた。そんな思いを残していたなか、カキペディア(牡蠣百科)で、干潟を活用した牡蠣養殖の記事を見つけた。

これだ!もしかしたらこれで干潟を再生できるかもしれない!地元に貢献できる!

彼はすぐにこのアイディアを実行に移す。建設業で得ていた私財をすべて投げ打ち、2年もの歳月を費やして正式に漁師(組合員)になり、干潟を取得、念願の牡蠣養殖をはじめた。

右も左もわからないなか、日本中、そして世界中を廻り牡蠣養殖を勉強した。

そして、最先端の世界に通用する養殖技術も身に着け、今年(2016年)わずかだが出荷もできるようになった。ここまでに5年の歳月を費やす。

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そもそもなんで生物がいなくなったのか?

流れ込む川の上流での開発による伐採で、大量の土砂が流れ込んだこと。あわせてゴルフ場などの農薬ではないかといわれているが、生物がいなくなって10年以上放っておかれたため、正確な原因などはわかっていない。

とにかく溜まってしまった土砂などをすべて掘りだし、干潟を耕すことからはじめた。

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少しづつ生物が戻ってきた!

実際に試験的に牡蠣を育てはじめたのが2013年。そして2014年、15年、そして16年と3年。

まずは小魚が戻ってきたという。牡蠣がたべたプランクトンを濃縮して吐き出すので、その周は栄養豊富。魚が産卵するようにもなったという。

小魚が戻ってくると、当然、それを食べる魚も戻ってくる。さらにそれを食べる魚が・・と連鎖しはじめた。湾をでたところは昔はたくさんの魚が獲れた素晴らしい漁場だったという。

だが、その魚もいなくなって、廃業する漁師も増えていたという。ところが、この連鎖により魚が帰ってきた。まずは釣り客が。そして漁師が魚を獲りはじめた。

開墾と牡蠣養殖によって、干潟が少しづつ肥沃になっていく。他の貝類、そしてエビも観られるようになりはじめた。

これならいける!

牡蠣養殖をはじめることによる生態系への影響を常に気にしていたという。

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少しづつ子供のころに観た干潟になっていくなか思いは確信に変わった。そしてこのほど本格的に牡蠣による干潟の再生に乗りだすことにしたのだという。

再生には、牡蠣礁の生態系への影響をふくめた調査研究など、相当な費用を要する。その点に関しては、かきうみ株式会社(代表:黒瀧将史、千代田区)が産官学連携などの事業体制を整えバックアップする予定。

牡蠣礁が形成されれば、そこで種をとれるようになるので、種の購入費用をそれに充てることができるという循環を生めるが、それまでの初期投資やそれだけでは賄いきれない部分もある。

この干潟再生事業が日本の宝である干潟たちを活用するひとつのモデルケースとなり波及していくところまでいければ本当に素晴らしいことだ。牡蠣は人類と自然との共存共栄を実現する。環境保護改善と経済発展の両立を成すことができる数限られた貴重な生物なのである。

2016-12-19