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昭和38年当時のかき船|via.広島 かき船かなわ

その名も「かき船」

日本の牡蠣養殖の歴史は広島からはじまる。いまから400年以上も前の室町時代、天文年間(1532~1555年)。

江戸時代も中期になると、その牡蠣を船で市場のある大阪に運ぶようになった。そしていつからか牡蠣の屋台のようなことをはじめ、さらには牡蠣や牡蠣料理を提供するお店となっていった。

それが「かき船」として親しまれるようになる。全盛期には大阪の道頓堀をはじめとした川沿いに200隻近い「かき船」が停泊し営業していたというから驚きだ。

明治、大正、昭和と経て交通も充実していき、輸送も輸送技術も容易になっていった。それとともに「かき船」も衰退していく。

でも50年前まで道頓堀で営業していたんですよ

その数、9隻。とはいえ産地からの運搬はせずに完全に停泊しての営業形態。そのアトラクション的要素、情緒と雰囲気だけでも十分に楽しめたってことですね。昭和42年(1967年)の1月18日まで。詳しくはこの記事をどうぞ↓
もうないのか・・残念・・いやいや、まだありますよ!

いまでも広島に行けば味わえる!


via.広島 かき船かなわ

かき船「かなわ」さん。

最近も河川の整備などで移転など様々な苦難も。きっと長い歴史の中でそれだけでなはない苦難も多々あったとは思います。が、それでも今なお当時の情緒を遺してくれています。

こちらの牡蠣はたぶんどこよりも安全安心かもしれない。特に広島の中では珍しく生食可能(安全安心)であることにこだわっている。調理に使う牡蠣も含めてすべて。この話は慶応3年(1867年)からはじまる長く海よりも深い物語があるので、またの機会に。

お台場でやったら?

オイスタークルーザー。

いまでも産地(生産者)から直で船で運んできてそのままオイスターバーやってます!はウケると思うんですがね。どうでしょう?大阪なら当然、道頓堀で。芝浦もありますね。晴海ふ頭?みなとみらい?もめてる豊洲でもいいかもですね。

やりたいって方いたらご一報くださいな。いろいろ協力しますよ。僕はその船をお借りして世界中を周りたいので。

出典情報:
【昭和42年1月18日】浪速情緒がまた一つ
広島の老舗料亭「かき船かなわ」、移転費用をネットで調達
広島かき船かなわ

2017-01-19、2010-08-01、2009-12-03、2007-11-25